彼が(今の夫ですが...)よく言っていました。
「無理くらいはしなきゃ!無茶はダメだけど!」 と。
出会った頃に、私が、不規則な仕事の彼に対し、
心配して言った 「無理しないでね」 に返ってきた言葉です。
(彼も体が強いタイプではないので)
なるほど、確かに と思いました。
無理のひとつもしないで楽な生活を送ろうなんて、不可能だなと。
だけど、無茶はダメだと。
胸の苦しさや体の痛みがあるはずなのに、彼は愚痴をこぼすことがありません。
私に、「この痛みや苦しさをわかってくれ」 などと言ったこともありません。
それを考えたとき、私の考えがいかに甘ったれていたかが良くわかりました。
「自分の病気のことは人にはわからない」 とも彼は言います。
精神的・身体的なものに限らず、自分の痛みや苦しみを人に説明しても、
自分の体のことではないから100%理解は不可能だと。
だからあえて何も言わない、言えば心配させて気を使わせるだけだからと。
離れていればなおさら。
反対に、「大丈夫」 と聞かれて 「大丈夫!」 と返すときこそが、
人は頑張りすぎていて本当は大丈夫じゃないんだ とも言います。
「ツライ」 「痛い」 「苦しい」 と愚痴っている間は、それはただの愚痴。
心配してほしい・気にかけてほしいという心の現われだから、心配する必要はないと。
確かに私の場合もそうでした。
頑張って無理しているときこそ、「大丈夫!」 と
心配かけないように言っていた記憶があります。
彼のほうが一回り以上人生の先輩である分、学ばされることが多くあります。
彼の言葉の数々を反芻しながら、これまで数年の行動を振り返ってみると、
本当に自分は弱くて甘ったれていたんだなとよくわかります。
無茶どころか無理すらせず、病気に甘えてネットに逃げ、傷の舐め合いばかりし、
「私の気持ちをわかって!理解して!」 と彼によくぶつかっていました。
常に誰かに心配されていたいという気持ちがありましたし、
彼曰く、私のメールは 『心配してメール』 が多かったそうです。
無理をすべきとき、無茶も無理もするべきではないとき、
じっくり考えれば見えてきます。
今の私は、上記で言うちょっと無理をしているくらいですが、
何にもしていないときよりも毎日がとても充実していて、満たされています。
春はすぐそこまでやってきていますね^^
※体重も落ちてきました。1ヶ月で2kg減です^^