明日を見つめて

2003年末に、うつ病・パニック障害と診断。
薬を飲んでも良くならず、精神医療に不安と疑問を感じ始めました。
減薬を始め離脱症状と闘いながらも、2012年末なんとか断薬に成功。
2013年には妊娠→出産!育児ブログになりつつ...?
一歩一歩前進しています!
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# パキシル服用と断薬まで
2003年

11月入院
その頃のことについては、こちらこちらをご覧下さい。


2004年

パキシルが出されたのは、6月頃だったような気がします。

最初の副作用は、あまり出なかったような記憶があります。
その後、少し回復したように思えました。

7月中旬には、近くの花屋で事情を話して、週3回バイトを始めました。
(金土曜日は、9時から12時まで。日曜日は9時から15時まで)

しかし、母親の態度は今までと変わらずでしたので、
希死念慮が日に日に強くなり、(自殺願望自体は小さな頃からありました)
ついに、9月25日、睡眠薬50個・ロキソニン20個・レンドルミン10個を一気に服用。

翌日、母親は家におらず、自分で救急車を呼びましたが、日曜日ということもあり、
私も、大量服薬をしたことを言わなかったため、病院を2箇所ほど回され、
家に帰された記憶があります。
お金も保険証も持って出なかったため、どうやって帰ったか覚えていません。

後に、マンションの14階の踊り場から飛び降りようとしたり、
包丁で自分胸を突き刺そうとしたり・・・。

それから1ヶ月は寝たきりでした。

精神病院に入院させてほしいと言いましたが、
心療内科の先生や看護師さんたちが、口を揃えて、
「やめたほうがいい」
と言うので、一旦は用意をしたものの、やめました。
(自分で全部の持ち物に名前書いたりしたんですが・・・)

しばらく寝たきりで過ごしたあと、少しずつ回復。
また、バイトを再開しましたが、躁転し、異常行動は続きました。

母親も異常でした。
お互いの異常行動について、とてもここでは書くことができません。


2005年

2月28日・・・。
この日は一生忘れることができません。

その後、パキシルを減らされたかどうか覚えていませんが、
別の異常な行動が続いていました。

生理も不順になり、胸が張り、乳汁分泌...。
毎日規則正しい生活をして(朝7時起床・夜9時就寝)、
食べる量や食べるものは今までと変わらないはずなのに(小さな頃から玄米生活)、
どんどん太り、むくみもありで、顔も体もパンパンでした。

9月に、今の彼と知り合い、後押しされて、母親と決別し、
12月には一人暮らしを始めました。

一人暮らしをはじめると、規則正しかった生活が崩れました。
今までの反動が大きいと思いますが...。

一人なので、どうしてもバイトをしなければなりません。
13時から19時までバイトをして、帰ってちょっとご飯を食べて薬を飲んで寝て、
朝は起きられないため、家が近くなったのにも関わらず、
祖母のお見舞いにもほとんど行くことができなくなってしまいました。


2006年

診療所は以前のところに通っていましたが、あまりに遠いので、3月に転院。
ここの先生は、漢方に長けた小さなクリニックの先生で、体調に合わせて、
私の体にあった薬を見つけようとしてくれていたようです。

手帳に記録してあるものは、変更があったときにしか書かれていないので、
他に何の薬を飲んでいたかは、記録がありません。

03月11日:リスミー→レンデムへ。
03月18日:リスミー→ハルシオン/パキシル20mg→10mgへ。
03月22日:パキシル10mg→20mgへ。
03月29日:ハルシオンへ(意味がわかりません)
04月04日:睡眠薬がパルギンに。
04月11日:パルギン→レンデムへ
04月19日:ロデックス追加
04月26日:パキシル10mgへ。ルボックス追加。
※しんどくなり、希死念慮が出てくる。
06月09日:ルボックス中止。
06月17日:メイラックス・セディール・ドグマチール

バイト先でのトラブルや痴漢など、いろいろなことで精神的にも肉体的にも疲れ果て、
それでも無理してバイトに通っていましたが、06月半ばにバイトを辞めました。

08月には祖母が亡くなり、母親の代わりに、手続きやら遺品整理やらなんやら・・・。
祖母が亡くなったことで相当落ち込んでいた上に、もう疲れ果てていました。

その後、ずっとだるくて起きられず、一日中家で寝ていました。
パキシルも20mgに戻りました。

そういえば、いつも微熱があり、寝汗が尋常ではなく、夏が更に苦手になりました。
顔ばかりのぼせて、真っ赤っかになり、
汗がダラダラ流れて、ちょっと外に出るだけでも大変でした。
(これらは、パキシルに限らないかもしれません)


2007年

10月に、諸事情で一度パキシルを中止。
ひどい離脱症状で、再服用。


2008年

10月に、セカンドオピニオンを紹介されて行くと、
双極性二極障害ではないかと言われました。
ですが、その病院は遠すぎてとても通える距離ではなかったため
薬の変更なく、また、「今更そんなこと言われても・・・」と一度きりの病院でした。

記録がありませんが、
自主的に、パキシルを減薬したいと申し出ました。

20mgの錠剤を、10mgの錠剤2個に変えてもらい、
20mgと10mgを交互に服用したり、
20mgの代わりに、20mgの3分の4錠を服用していた記憶があります。

11月20日:パキシル20mg→10mgへ。
11月25日:パキシル20mg服用。
11月29日:パキシル20mg服用。



2009年

02月には、完全に10mgへ。
03月25日から、パキシル10mgを一日置きに。
※まだ減薬についてほぼ無知で、隔日法で減らしていたようです。
06月:調子を見ながら、2日置きに。
07月:調子を見ながら、3日置きに。
07月29日:ジェイゾロフト開始。パキシルは4日置きに。
(副作用の吐き気がひどく、10日くらい続きました)
08月24日:パキシル中止。ジェイゾロフト25mg→50mgへ。

20mgから0mgにするまで、10ヶ月くらい時間をかけていたようです。

それでも、やはり離脱症状も相当出ていてツラく苦しかったようで、
吐き気・頭痛・めまい・だるい・手の震え・動悸・胸が痛い・苦しい
と記録があります。


同じ頃、レンデムも減薬していたのですが、
レンデムはカッターで割って漸減法で減薬していた記録があるのに、
なんでパキシルは隔日法で減らしていたのか、謎です。


あまり参考にならないかもしれませんが、
記録として残しておこうと思い、更新しました。






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| comments(0) | trackbacks(0) | 17:40 | category: パキシル服用から断薬まで |
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